趣味の自作航空機 ジャイロプレンの実際 上巻 実践編 (その3)
GYROS mffm MY FAVORITE FLYING MACHINE  since 1969
©June 2017 M.Kokubun 國分正紀
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予備知識  
スペインのシエルバ(Juan de la Cierva)は、自分が設計した飛行機が、飛行機に本質的な特性(機体全体が失速する)を原因として墜落したことを背景に、そのような危険が無い航空機の研究を始め、オートジャイロ(Autogiro)と名付けた航空機を発明して成功した(1923年1月)。それは改良されて、滑走しなくても離陸出来るようになったが、空中に停止する事は出来ず、着陸時には短い滑走が必要であった。 一方でヘリコプタ(ヘリコプター helicopter)が成功して進歩し実用化された為、第2次世界大戦後にオートジャイロは姿を消した。しかしアメリカのベンセン(Igor B. Bensen)がスカイスポーツ用の超小型軽量・単純な構成のオートジャイロを開発して成功させ(1955年12月)、これをジャイロコプタ(ジャイロコプター GyroCopter)と名付けて、普及をはかった。
航空法令上の呼称は、オートジャイロもジャイロコプタも含めてジャイロプレン(ジャイロプレーンgyroplane)である。一般的に、総称して単純にジャイロと呼び表わす事も珍しくない。ヘリコプタもジャイロプレンもローター(回転翼)によって空中に浮揚するのだが、ヘリコプタのローターが動力によって駆動されているのに対して、ジャイロプレンのローターは通常動力には繋がっていない。機体が進む時の相対的な風圧によって自動回転(オート・ローテーションautorotation)して浮力を発生させている。

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趣味の自作航空機 ジャイロプレンの実際 上巻 実践編  12

それからの
G6-VW1500

金属製ローターを得たものの、予備回転装置が必須と悟って、自動車エンジンの部品を利用して自作を試みた。フライホイールのリング・ギアとセルモータのシャフトとピニオンを使い、ステアリング・シャフトのユニバーサル・ジョイントを伸縮角パイプの上下端に付けて、下端のゴム・ドラムをVWエンジン前方のディスクに押しつける方式を採った。
prero1
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<試作予備回転装置>

しかし期待した結果が出ず、最終的には米国ワンダリッチ製のセットを輸入して取り付けた。その為にキャブレター取付向きの変更改造なども派生したが、実績の有る予備回転装置はやはりそれなりの素晴らしい実力を見せてくれ、その頃の様子は別項の通りで、それが 「それからのG6ジャイロ」で有った。
予備回転装置の試作と平行して、関心は急速に、かねてからの懸案で有った、超軽量ジャイロプレンの設計製作に移って行った。即ち、G7型ジャイロプレンのスタートである


ある日の出来事 

G6-VW1500型の最後~「壊れた尾翼~話の外」
G7-R447型ジャイロプレンの飛行も軌道に乗って、フライト・ログ・ブックの飛行時間を順調に延ばしていた頃。高度や距離など飛行範囲には制限が有り~もっとも当時の自分は遠くまで飛んで行きたいとは望まなかったのだが~更にアクロバットまがいの飛行はもっての外。となると、まだまだ未熟で有る事等には無頓着、多少飽きが来て変化が欲しくなり、で、以下は「壊れた尾翼~話の外」。飛行時間合計は知れているにも係わらず、一冬通して河原に屋外係留した事もある、整備もまともにやらなかったなんて事の咎めが出て、老朽化著しいG6-VW1500型ジャイロプレン~登録識別記号JE 0084。フレキシブル・シャフト駆動の予備廻転装置のおかげで ハンド・スタートが著しく困難なローターも苦にならない。上昇性能等に問題は有っても非常に愛着が有るG6型。場周飛行に出る気はさらさら無い。無風状態の時に滑走路を往復ジャンプ飛行。ローターは怪しげな手作り木製では無くて信頼性抜群。グラウンド・クッションに乗ってセミ・エンクローズド・コックピットに座っての操縦と飛行は、緊張の中にも余裕が有って実に楽しい。
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<晩秋の阿武隈川河川敷 そろそろ撤収の時間>
<一見正常に見えるG6-VW1500型JE 0084


壊れた尾翼 ~ 或る日の出来事 2

1997(平成9)年11月16日(日)。ウルトラライト飛行機の訓練と調整しながら、長さ約500mの滑走路を使用しての往復ジャンプ飛行を、今日は既に30分程消化していた。夕方風が無くなった頃を見計らって、同様なジャンプ飛行を繰り返していた。始めてから15分程過ぎた頃、ピストにいた数人の仲間が、滑走路を横切って走り、岸に立って川面を見ているらしい。自分は滑走路の一方の端から次のジャンプに向けてダッシュした所。いつもと同じように浮上して前進すると、先の仲間1人が滑走路中央寄りに飛び出してきて、ヤメロ!の意に取れる合図をしている。驚いたのは当方。下手をすると、その人をローターで叩きかねない。急減速フレア操作して着地、直前で停止した。皆が機体後方に回り込んで、見て、そして私に何かを伝えようとしている。何が何だか分からないままエンジンをカットしてローター廻転が下がるのを待つ。 シート・ベルトを外して座席から降り立って、やおら機尾を眺めてビックリ。ラダー(方向舵)右面の羽布がべろっと剥がれて無くなっていた。一回前のジャンプ飛行時に 何だか小さくない物がヒラヒラしながら川面に落ちていった~だから~と言う訳。G6-2DKの頃は、ラダーも全面合板でカバーしていたのだが、その後重量軽減の目的により、写真で暴露されているごとく、軽減孔付き合板羽布張り構造に改造した物だった。ちなみに前15日、狩猟解禁になって、ハンターがうろうろしていたような気がしたけど・・・関係ないか・・・ウン。

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 左:方向舵の羽布が剥がれて吹き飛んだ G6-VW1500型>

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<修理中>

その後、合板でカバーして修理を進めたが尾翼全体の老朽化を配慮し、これで飛び上がった実績は無い。すなわち「それからのG6ジャイロ G6-VW1500型の事実上の最後となった。




XG7型 超軽量ジャイロの背景
水平尾翼は試してみよう キャビンは付けない。
ジャイロプレーンに復帰した頃 超軽量航空機界の動力装備は オーストリー製ロータックス・エンジン等 2ストローク・エンジンと減速装置の組合わせが主流で ジャイロプレーンも例外ではなかった。 それで自分の次期ジャイロ XG7型はその方向で考えていた。
例によってカタログなど資料を集め 他機例データを参考に 基本構想は1993年頃から有った。 エンジンは減速ギア付きロータックス503で大直径プロペラを使用する。 プロペラもローター・ブレードも自作しないで 実績のある既製品を使用する。 プロペラは地上可変ピッチの物が何かと便利だ。
出回っているローターは数種類有ったが 互換性確保の為 それらの殆どがベンセン・ジャイロコプターのローターヘッドに取付け可能な仕様になっていた。 それでローターヘッドの方式や基本寸法はベンセン式を踏襲する事にした。 故にローターヘッドだけは早々と図面が確定し近くの機械加工屋さんへ製作を注文した。
大直径プロペラを使用するので 機体の高さが増えるから ローター始動の難易にかかわらず予備回転装置は必須である。 実績豊富なアメリカのワンダリッチ製フレキシブル・シャフト式のセットを採用しよう。 だが今はエンジンもプロペラも無いので 長さや回転方向等その仕様を決めかねて注文も出来ない。 しかし迷っていても進捗しないので 入手した品物に合わせて機体寸法の詳細を決定するべく アメリカ・ドミネーター・ジャイロに使用している物と同じ物と指定して注文した。 同時に入手ソースが同じで比較的安価という理由で カナダ製の木製3翅地上可変ピッチ・プロペラも発注した。

ローター・ブレードは既に入手済み G6-VW1500で使用したアメリカ製ドラゴン・ブレード。

残る大物はエンジン。 金銭的に負担が大きい。 搭載計画はロータックス503だったがここでエンジン提供者が現れた。 あまり使用していない ロータックス447で減速ギア付き。 提供者は所属クラブの創設者で元会長の佐藤亨氏。 当時 氏は超軽量動力機(ウルトラライト)は卒業して自家用飛行機のオーナーになっていた。 思いがけない まったく嬉しい事で有った。 ラッキー。

一方でちょっとした懸念も生じた。 注文済みの 3翅プロペラは直径60インチで メーカー・カタログを子細に見ると ロータックス447にはマッチしない。 この直径で有れば2翅が最適らしかった。 しかし地上可変ピッチ式である 何とかなるだろう。

話題になっている水平尾翼はどうしようか?。これは試してみよう。やってみて決めよう。

プロペラに合わせてローター・マストは高くなる。 曲げ荷重の他に 予備回転時の捻り荷重も検討しなければならない。 リジッド(剛)なマストにはしたくないが かといって高価に付くダブル・マストは避けたい。 中を取って垂直安定板の桁とマストを部材で連結しよう。そうすれば形としては いわゆるトール・テールになる。 これもやって見て必要無ければ変更しよう。 それで軽くもなる筈だ。

注文したプロペラと予備回転装置も 案外早く届いたので 図面も大体固まり 手持ちの材料を使って機体フレームが形になった。 手間取ったのは合板製の垂直尾翼とノーズ・ギア。 そしてローターヘッドの操縦系統。 特に コントロール・プッシュプルロッドの長さ。

G6型のようなコックピット・エンクロージャ(キャビン)は付けない方針。 即ちオープン・コックピット。 

基本的な概念図面や性能推定計算には 息子からの お古のパーソナル・コンピュータが役に立った。
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 プログラム・リストの一例

作業所解体移動タキシング広場に工場が建った
幻と消えたL10型ウルトラライト機や G6型ジャイロをタキシングさせた事もある広場に工場が建ち 更に立退き要望が出ていた。 金属製の輸入ローター・ブレードを得て G6-VW1500型ジャイロも一区切りついた気持ちだったので これまで作業所としていた須賀川市内の小屋を解体移動する決心をした。 前後して細々した物の整理なども有ったが 基本がボルト組立の掘っ建て小屋の解体は誠に簡単。 1994年(平成6年)5月
21日 22日の2日間でやっつけ レンタ・トラックで郡山市内の山林へ運び込んだ。もっとも 整地や あれやこれやの問題が有って 小屋の再組立は解体のように単純に行かなくて 大部先にずれ込んだ。
結局 次期ジャイロ~超軽量ジャイロプレーン XG7型の製作組立は自宅の物置小屋と玄関先でやる事となった。
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解体中の作業所と背後の工場  完成当時の作業所
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かつては タキシング・テスト等が出来た広場

XG7試行錯誤
物置小屋で部品を作って玄関先で組立てる。 不具合が有れば手直しして図面に反映する。 例えば そのようなやり方で機体は徐々に形になった。 ノーズ・ギアは一時 自転車のフロント・フォークも利用してみた。 注文したプロペラとプリローテーターを待っている間には ゼノア・エンジンを載せて走ってみた事もあった。 自分の体重はフル装備でもせいぜい60キログラムなので ハング・テストは体重80キロクラスの方の協力も得た。hangt1ハング・テスト (60キロクラス)
hangt2ハング・テスト (80キロクラス)
mainfrmメイン・フレーム

XG7-ZENOAH  

試行錯誤 2
ZENOAH G50D エンジンを仮搭載して走行テストした事も有った。 
マボロシと消えたL10型ウルトラライトに一時使用したゼノア・エンジン フラット・ツー空冷  2ストローク40馬力 ベルト・リダクション。
新プロペラが届いたので短時間で中止し ROTAX447を搭載した。
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XG7-ZENOAH

国際信用的懸念!気ぜわしく忙しい1年の始まり
1994年(平成6年)暮れ 在英の長男が3年ぶりに一時帰国した。 連れの友人は日本観光も兼ねている。 当然ながら見る物聞く事触る物もろもろに興味を示す。 日本の風呂温泉は気に入ったが納豆はだめ。 そのうち玄関前にシートをかけて置いてある 細部仕様未確定のG7型ジャイロに話題がシフト。 飛ぶところを見たい等と言い出す。 ここは特別に(?) 「国際信用的懸念(!)」を配慮して 正月2日県北の河川敷へ出掛けた。 
雪は無いが滑走路の所々にはぬかるみも有る。 結構風が有ったので長い滑走は不要だったが やはり泥の跳ね上がりは面白くない。 数回軽くジャンプして見せて国際信用的懸念は払拭した。
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    XG7 ジャイロプレーン Jan. 2, 1995

その後 息子と友達は冬の松島(宮城県)を見物してから南へ西へと観光した。 そして17日 四国松山市(愛媛県)に居た時「兵庫県南部大地震=阪神大震災」が起きた。 連中が何時何処を歩いているかはこちらでは分からなかったので心配したが その事はしばらくしてからの電話連絡で知った。 彼らは予定していた観光の一部を中止して 日本海側のルートで戻ってきた。 かくして とりわけ地震が無い(?)国からの友達にとっては
強烈な見聞をした初訪日で有った。生活拠点へ戻った彼らから 程なくして手紙が届いた ~~~ 「5月に挙式する 家族でフランスヘ来て欲しい」。 この様にして 気ぜわしく忙しい1年が始まった。

気ぜわしく忙しい1年  XG7ジャイロ 結果が出たり出なかったり
在英の長男たちから 家族でフランスへ来て欲しいとの手紙が届いた。 昨年末そのような話を聞いて非常に驚き戸惑ったのだが 日時を指定した正式な結婚式への招待状であった。 英会話もままならないのにフランスとは!。 改めて覚悟(?)して 5月下旬に向けて渡航準備をした。

帰国して少し落ち着いた頃を見計らって 進んでいた長女の縁談の相手方の御両親が訪ねて来られた。 幸い話はスムーズにまとまり 秋も深まった頃に挙式した。 初夏に結婚した長男夫婦も招待され 職場のあるニュージーランドから再帰国&再来日 小雪がちらつく裏磐梯五色沼でボート遊びなんかをやって また戻って行った。
その様な訳で この年1995年(平成7年)は大変気ぜわしく忙しく かつ出費もかさんだ。
マイ・ジャイロ XG7 も気がかりで あれこれ一連の試作と試験は その間をぬって進めた。 当然ながら結果が出たり出なかったり。
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カトリック教会のダルマ  一年後 文化の逆輸入?
自分は不心得者 事に際しては神道仏教だが 日常の生活では全く縁が無い。 でもどーゆー訳か家には神棚があって古いダルマが幾つか置いて有る。 キューピッドの気紛れか何か知らないが長男はフランス人の娘さんと結婚する事になった。 この嫁(?)日本式おふろ大好き なっとう大きらい。 一方「シントー・シェルフ・ダルマサン(~神棚のだるま)」とか言って ダルマに目を入れる習慣が大変気に入ったらしい。 そして あろうことかフランスのカトリック教会の祭壇に持ち込んで挙式した。( あいつら この ばちあたりめが )。
そのような背景があって 私はそれに触発されて~ これって文化の逆輸入?~ちょうど1年後の1996年5月26日 G7-R447公式初飛行の時 「ダルマ様」に青い目を書き入れて御同乗願った。 このダルマ様 片目の時(?)も有ったのだが 両目を入れたこの日も 顔見知りのパトロールの方々が来ていて喜んでくれた。 同乗のダルマ様にヘルメット? 畏れ多くもこれは失念した。
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       1996年5月26日
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1995年5月27日双方の家族から1人ずつ証人がサインしてOK。 祭壇上にはダルマ様が鎮座。

XG7試行錯誤2  ノーズ・ギア 計器盤 マッド・ガード
ノーズ・ランディング・ギアは一時 自転車のフロント・フォークとブレーキを利用してみたが 結局気に入らなかった。計器も目一杯付けてテストした事もあったが 最少に押さえた。
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プロペラを飛び石や背の高い草から保護する為の何かを付けようと考え 最初の頃は水平尾翼を兼ねたマッド・ガード板を試して見たが形が奇抜なだけで安定板としての効果はあまり期待出来なく 重く取扱いにも難が有るので中止して メイン・ホィールにカバーを付けた。その後ノーズ・ホィールにも同様なカバーを追加した。

XG7 静止スラスト測定  間接法による値は120kg
写真のノーズ・ホイールの下に有るのはヘルスメーターだが 重量を測定している訳では無い。
プロペラの静止スラスト測定セットアップと メーターの指示状況である。 statict1statict2
ヘルスメーターの色が異なるのは 平均的な測定値を得る為の交換が理由。 ヘルスメーターとメイン・ホイールの下には厚い合板を敷き メーン・ホイールの前の地面には鋼アングル杭を打ち込んで有る。 この測定作業は危険を伴うので慎重に行わなければならない。 ホイールの空気圧力 車軸の摩擦 機体フレームの撓み プロペラ反トルクによる浮き上がり又は転倒対策等々。 エンジン停止時にはメーター指示はゼロで有る事~必要ならノーズ部位にバラストを載せる。 

1995年(平成7年)10月22日 最終的にセットしたプロペラの取付けピッチは75パーセント半径で11度(プロペラ付属のピーチ・ゲージによる)。 エンジン・タコメーター指示最大回転数 6000 rpmで ヘルスメーターの針は安定していたり振れたりした。 右の写真では85kgを指しているが 実際は82kg~85kgの幅が有った。

下の図は測定原理(間接法)を示すもの。
例えば L=1400mm(ホイール・ベース) 
     H=950mm  
     P=82kg(メーター指示値)の場合 
メイン・ホイール車軸回りのモーメントの釣合から プロペラの静止スラスト T は

T = P × L ÷ H = 82 × 1400 ÷ 950 = 120.8 ≒ 120 kg

G7-R447の性能推定計算で 静止スラストの値は120kg を採用した。

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G7-R447 型式認定申請
ずるずると後回しになって遅れたG7-R447型ジャイロの型式認定ようやく書類がまとまって投函したのは1995年(平成7年)12月11日。
規定された<様式1>による「型式認定申請書」に添付した書類等は次の通り。

 1 仕様書 (注)
 2 三面図および写真
 3 設計および製作に関する説明文書
 4 飛行規程
 5 操縦要領説明書
 6 点検整備規定
 7 製作過程の概要説明書
 8 主要構造図
 9 図面リスト
10 強度計算書
11 性能計算書
12 計測および試験の記録
13 エンジン プロペラ ローター 参考資料

注:後で<様式46>による「申請者用型式仕様書」を追加した
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思いがけない電話  (財)日本航空協会のN氏から
1995(平成7)年12月15日(金) (午後だったと記憶する) 勤務先に電話が入った。私は現場にいたのだが 取り次いでくれた事務所の人の話が要領を得ない。 電話を取って分かったのは(財)日本航空協会から 航空業務室の氏からという事だった。 氏の事は全く知らないし私も一瞬戸惑った。 航空協会から なぜ?とも思ったが 心当たりはあった。 氏から まず私の家に電話を入れ ここ勤務先の電話番号を知った旨云々の丁重な御挨拶を受けた。

凡そ1年前(1994年の年末) 一応のまとまりを見せたG7-R447型ジャイロプレーン。あれやこれや試してみたい事 改良したい事が有り 細部を含めて最終的な形を決めかねていた。 更にそれからの1年間は我が家にとっては非常に気ぜわしく忙しい年となった。そのような理由で G7型の型式認定申請はズルズルと後回し先送りにしていた。

11月に長女がかたづいて一区切り。 申請書類をようやくまとめあげ 航空協会気付けで日本自作航空機連盟へ発送したのが12月11日。 当時は確か 型式認定に伴う適合証明審査(ジャイロプレーンの要件を満足する事などの審査や検査)は 自作機連盟から協会へ委託されていたから( ? 逆だったかもしれない ) だから 今回送った書類に関する電話であろうと察しがついた。 それはその通りであったが 全く思いがけない内容でも有った。

実機検査は1週間後  思いがけない電話 2
G7-R447型ジャイロプレーンの「型式認定申請書」を投函したのが平成7年12月11日(月)。お互い何かとせわしい年末。 書類を受けた側にも都合が有る事だろうし まぁここまでやっておけば後は来年の事。そのうち反応が有るだろう 気長に待とうってな感覚だった。が これは相手に対して大変失礼な思惑だった事が間もなく分かり 反省させられた。即ち その週の15日(金) (財)日本航空協会 航空業務室の氏から思いがけない内容の電話を受けた。 

「・・・・・ 日本自作航空機連盟とは調整済みです。 1週間後の22日(金)に実機検査を実施したいが 都合はいかがでしょうか?。 その場合部長が出向いて任にあたる予定ですが ・・・・・」

・・・書類には不備が・・・審査は・・・検査は・・・見通しは来年の・・・ とかの内容を勝手に想像したので 全く驚いた。また「1週間後」という話には 正直戸惑った。 ウィーク・ディであるから休暇を取らなければならない事はもちろんなのだが 大きな別の理由が有った。検査を受けるからには それなりの準備が必要と言えば当たりまえだが その準備が並みでない事を十分承知していたからで有る。 単なる整備清掃では済まない。 部材の細部を見れば変更に基づく不要な穴が目立ったり 一見して分かる有り合わせの古い材料を使用していた。 仕上げ加工不十分とか 塗装が既に傷んでいる所も有る。
1週間程前には 年末年始休暇にノンビリやっつけようと予定していた検査対応準備作業。電話を受けながら思案した。しかし1週間有る。日曜日まるまる1日の他に夜間作業は6日。但し 主に自宅玄関前で照明を準備しての屋外作業だ。たかをくくっていた事への咎めが出た感じ。 だがやってやれない事は無い 出来る。せっかくのチャンスだ。 返事はイエス。
かくして 15日の夜から手を付けて 最後に家内が縫い上げた新しいシート・カバーを組み付けて終了。トレーラーに機体とローターを搭載完了したのは検査当日22日のAM 2時頃。天候には恵まれた。
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結果論になるが この様にしてこの時期に型式認定の一連の審査なり検査を受け得た事はラッキーであった。 翌年には 諸規定が改正されて 飛行試験も要求される様になったからである。 
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米国スミソニアン航空宇宙博物館で飛行機のレストア作業に従事した(検査の日部長さんからお聞きした)とかの 異色のキャリアを有する氏にお会いしたのは しばらく後になってからだが この時の電話以来 何かにつけて御世話になっている。

G7型ジャイロの審査
1995(平成7)年12月22日(金)。 ウルトラライト飛行クラブの格納庫とその前の敷地で 適合審査が実施された。 審査員は(財)日本航空協会から派遣された部長さん。審査の対象はロータックス・エンジンを搭載した私の新しい軽量ジャイロプレーンG7型。
航空局通達に規定されている「ジャイロプレーンの要件」(注)を満足するか否かを 実物の観察や計測などによって確認する事が目的。

早朝 郡山市の自宅から機体をトレーラーに載せて県北梁川町の現地へ搬入 審査を受ける為の準備をする。 やがて協力者さんが駅で迎えた部長さんを案内して到着。部長さんは受理した申請書類一式を持参。 ご挨拶と大雑把な説明の後 小休憩を入れながら 約3時間に及ぶ審査が始まった。

格納庫の天井フレームに取付けたチェーンブロックで機体を吊り上げ ヘルメットほか飛行時の装備をして体重を測って座席に乗り込んで 飛行時の重心位置確認の為のハング・テスト。 次に地上に降ろしてローター・アッセンブリーを取り付け 型枠用合板を敷いた平らな場所の上で 3個のヘルスメーターを使用して自重量及び重心位置を測定。更に機体寸度や尾翼面積を測定。 申請書に記載してある緒元数値と今回の測定値とが比較され かつ書類に添付した写真や図面と実物の同一性の確認が行われた。 結果書類の一部の単純ミス等を指摘され また測定誤差の範囲ではあるものの 緒元数値は今回の測定値を採用する事になった。

規定にある「要件」は余裕を持ってクリア 後は雑談などでおしまいと思っていたら これが違った。 エンジンを回して走行して欲しいとの要望が出た。 かつて重量オーバーの機体が有って エンジンのピストンを抜き取って審査を受けたとかの事例が有ったからなのだそうだ。 なるほどと納得し 少量の燃料を給油して実施した。 風が少し強くなっていたので 予備回転を与えたローターはどんどん加速して 走らなくともノーズが浮きかげ
ん。 周囲には廃棄された自動車などが有ったりして そう広くもない格納庫前の敷地を機首を押さえながらゆっくり一周して戻って終わりとした。 もっと先が有るとしてスロットルを開いて前進すればすぐ浮上するだろうし そうでなくとも突風によって不意に浮上 悪くすれば転倒の恐れも有ったからである。 事後 ローター予備回転初期段階に於けるサイクリック・コントロール・プッシュプル・ロッドの振動が今後の検討課題とされた。 なお追記すれば この場所でジャイロのローターを回した事は後にも先にも1度も無い この時だけで有る。

この様にして夕方近く審査は無事終了。 さんは部長さんを少し離れた所にある河川敷滑走路を案内してから駅まで送って帰宅。 私は航空協会が発行する型式仕様書用の写真を撮影して機体を撤収 トレーラーに積んで帰路についた。
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 航空協会の部長さん(右)と (左)協力者さん

G7-R447型 型式認定  型式番号 JA95-GO-001
1995(平成7)年12月22日に実施された G7型ジャイロの実機立会い審査(検査)の結果をふまえ 差替え用の書類や写真等を大急ぎで準備して 24日 (財)日本航空協会宛に速達で送った。
まもなく型式認定された旨の連絡があり 下に示すコピー(部分)のような型式仕様書が届いた。 即ち G7型ジャイロプレーンは1995.12.26 型式番号 JA95-GO-001 として型式認定された。
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[ 暫定 ]
の意味は 次の送り状に有る通り。

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G7-R447型 登録   登録番号 JE 0121
G7-R447型ジャイロプエレーンの型式認定を受け 翌年始め(財)日本航空協会へ
その試作機の登録申請を行った。 事はスムーズに進んで 1996(平成8)年1月11日
試作機の登録番号は JE 0121 と決まり 登録識別板などが送られてきた。

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regist

G7-R447型 地上試験
少し雪が有って湿っている滑走路で消化
登録番号 JE 0121を得たG7-R447型ジャイロプレーン試作機。 まだ飛行許可申請は出来ない。 サーキュラーに規定されている地上試験を消化し その結果を 「地上試運転及び地上滑走試験等報告書」として 「飛行許可申請書」に添付しなければならない。従って地上試験を無事終えれば一段落 後は時間の問題。
機体のマストに登録識別板 マストと尾翼に登録番号シールをそれぞれ貼り付けて 少し雪が有る河川敷の滑走路に出向いた。 この冬は幸いまだ雪が少ない。 1996(平成8)年1月14日~15日の2日間 滑走路上の雪や湿り具合にはムラが有ったが場所を選んで消化。 立会人はいない。
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G7地上試験項目内容
サーキュラー TCL の規定
超軽量航空機(ウルトラライト飛行機や ウルトラライトジャイロプレーン)の飛行許可については 航空局通達(サーキュラー)に規定されている。通達は幾度か改訂されているが 大筋は変わっていない。 新型式の機体に対する規定の一つが「地上試験」に関するもので有り この段階は航空法に直接的には抵触しないのだが ここで問題が無い事を確認し 必要が有れば対策を施さなければ「第1段階の飛行許可申請」に進めない。 即ちジャンプ飛行でさえも合法的にはやれない。
地上試験で確認する項目と内容の1例は次の書式の通りで 中にある「TCL- ・・・」が根拠となるサーキュラーである。G7-R447型 試作機 JE 0121は 1996(平成8)年1月19日に第1段階の飛行許可申請を行い 同3月4日に許可が下りた。ジャンプ飛行の結果をふまえて 第2段階の飛行許可申請は同3月22日に行い 5月17日から2ヶ月の許可期間を得た。
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ダルマの両目が開いた  G7-R447 公式場周初飛行
新型式ジャイロプレーンG7-R447/ 識別記号(登録番号)JE 0121について 航空法 第11条 第1項 但し書きの規定に基づいて申請した 第2段階の飛行(地表面からの高度3メートル以上)は 1996(平成 8)年5月17日付けで許可された。他の条項に関する許可書もそろっての休日 5月26日(日)。ギャラリーはウルトラライト飛行機の仲間達といつものパトロールの県警の方2人(立会では無い)。 目無しダルマを計器盤にゴムバンドでくくりつけ 機体チェックと慣熟の為のジャンプ飛行を数回。異常無しと判断 ブルーのフェルトペンでダルマに目を書き込んだ。カメラを首から吊下げて搭乗 最初の公式場周飛行は約15分間。
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1996年5月26日(日) 阿武隈川と滑走路~JE 0121操縦席から撮影

この日のトータル飛行時間は約1時間。今回の許可期間は2ヶ月だったが 次回から6ヶ月間(平成8年7月24日~平成9年1月23日)となった。なぜダルマか? なぜブルーの目か? これは凡そ1年さかのぼる また別の話。

Dominator II        
1997年(平成9年)7月20日(日) 梁川場外離着陸場。
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クレーン付きトラックで移動

domint22
 尾翼下端(黒)は大きなアンチ・サーボ・タブ

上がれ上がれ
高~く飛行する場合は酸素は忘れても、自記高度計だけはお忘れなく。 記録を申請しま
しょう。 ---ついでながら---。
私は大変飽きやすい性格で、同じ景色のなかを緩旋回の連続、G7-R447でエッチラ・オッチラ高度を稼ぐなんて事は負担だったりして。 だから適当な所(切りの良いところ、ネ)でギブアップ。 しかし〇〇〇〇 フィートは単位をメートルに換算すると切りが悪いなー なんて。 ”6割頭”で必死になって計算して、で 、プラス 500 フィート頑張って。それで30分かけて昇った所を5分で戻って体がまだ冷えていて、家へ戻る途中、パリ発のニュース(ダイアナ妃の事故)を聞いてザワザワ~。一段と冷えちゃって、8月なのに。
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             阿武隈川と河川敷滑走路

剃り山 のジャイロ

自宅からあまり遠くない所に”剃り”を入れた?里山があります。山主は森のイベント時の駐車場等に使用すると言います。 駐車場だって? とんでもない事をおっしゃいますね。 これは誰がどう見ても滑走路です。 
転移表面や地形風などの問題は大変だけれど 共生できるのではないか云々があって”見せて欲しい”になって、しかし上がる訳にもゆかないので”じゃあちょっと跳んでみましょうか”。長さ約200mの広場の中程が出入り口になっていて ブルドーザのキャタピラの跡がしっかり残っています。自動車がいなくなってほぼ無風の夕方、敷地の端めいっぱい下がってスタートすると洗濯板状の場所にかかってガタガタ来たと同時に浮上 そしてすぐ接地操作です。2回目はガタガタの時間が少し長く続いた他は同じです。 全体マッサージは必要もないし うれしくもないのでおしまいのサインを出しました。
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 剃り山?

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 G7-R447

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キレた?

お父さんはジャイロべったり。 省りみられない?お母さんがついにキレた。 まさかり(斧)を振り上げて-。
左の写真はそのような事では有りません。 平成13年1月 数十年ぶりの大雪で手作りのHoliday House の屋根が雪の重みで長方形のすり鉢状態になって一部抜けて あわやジャイロが雪の下 氷り漬けになりかかったんです。 で処理作業時のワンショット 表情を見れば納得いただける筈。 しか~し なんかうれしそうにも見える。
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  雪とツララと

キワドク 間に合った話 ~ 飛行許可書
G7-R447ジャイロプレーンを 平成14年5月4日(土) 角田スカイスポーツフェスティバルで 展示する事になった。 きっかけは 友人から受けた3月3日のメール。 
角田市青年会議所 国土交通省 宮城県航空協会 仙台グライダークラブ他の皆さんの努力の結果 宮城県角田市地区内を流れる阿武隈川の河川敷に「角田滑空場」が出来た。 5月の連休にイベントが計画されていて 参加してくれるラジコンフライヤーやホームビルダーを求めている云々。私は ここしばらく飛んでいない しかし非常に興味をそそられる内容。仕事の都合や飛行許可申請など 日程上どおなるかは分からなかったが 必要な関連作業は進める事にした。
時間を見つけては機体の整備している内に 4月3日 (社)宮城県航空協会から滑空場の「使用許可書」が送られて来た。 大急ぎで航空法上の飛行許可申請書類(3種類)をまとめ上げ それぞれ速達便で送った。 従来の経験では時間不足。
関係者や当局と電話等でのやりとりがあった末に 航空法第79条但し書き(場外離着陸)に関する許可書が届き次に 航空法第28条第3項(操縦資格)についての許可書が送られてきた。
法第11条但し書き(機体)に関する許可書~許可する旨の連絡を得ていたが~5月1日現在 手元に届いていない。許可書又は写しを所持 あるいは機体に備え付けて置かなければ 飛行してはいけない~これがルールである。5月2日中に届かなければ 3日から連休に入るので 配達されない可能性大である。
2日昼前 意を決して(?)当局の担当者に その旨電話で説明 許可書の写しをファクシ ミリで送ってくれるようお願いした。 夜帰宅してみたら ファックス兼用電話が珍しく(?)ちゃんと機能を果たしていた。
以上 「キワドク 間に合った話」。

間に合わなかった話 ~ 慣熟訓練不良
平成14年5月4日(土) 角田スカイスポーツフェスティバルに参加のため G7-R447ジャイロプレーンをトレーラーに積み込んで夜中12時過ぎに自宅を出発 少し行き過ぎて戻ったりして 午前4時頃現地到着。 堤防上の吹き流しは風速10ノット以上を示していて しかも堤防から滑走路方向へのクロスウインド~これではチョット難しいなー。
滑走路を歩いて路面状況の確認なんかをやっている内に完全に夜が明けた。 見ると吹き流しは吹き飛ばされていて 堤防の斜面に落ちていた。 しかるべき所にくくりつけて自動車に戻り 5時過ぎに仮眠に入る。
7時頃エンジン音があって目が覚める。 イベントのスタッフは8時に来ると聞いている。 聞いてみるとモーター・パラの参加者。やはり風が気がかりらしく 今日は見る側になりそうだの話。 また車に戻ってジャンパーを被って睡眠を心がける。
ウトウトしていると 今度は続けて何台も自動車がやって来た。 運営者の皆さん達で 挨拶を済ませ 指示を受けて機体展示の準備。定刻に宮城県の防災ヘリが飛来して着陸。(社)宮城県航空協会 専務理事 大友宏之氏を筆頭に来賓の方々の御挨拶や御祝辞などで開会式。

やはり風が問題で モーター・パラの飛行は中止。 防災ヘリのデモ飛行があって ラジコン模型が乱舞し 次は私の番。実は内心 日程や許可の問題に余裕が有れば 1日早く行って慣熟練習をやろうと考えていたのだが 結果として出来なかった。
自分の展示飛行に与えられた時間は 11時25分から40分までの15分。それまでの待機時間 機体に集まってくる皆さんの質問に答えながら フライト(?)プラン等を考えていた。凡そ3年のブランクが有る。 エンジンの整備とタキシング練習はここへ来る直近にやった。 あとは高速滑走と浮上及び第1段階の飛行(地上からの高度3メートル以下)を安定して出来なければ先へ進めない。これはルールで有ると同時に自分の為。運航管理者に 予め用意した赤と白の手旗を渡して 状況によっては周回飛行には出ない旨話をした。
モーター・パラの飛行が中止になった事で 予定が早く進行し 連絡を受けて暖気運転  出発オーケー白旗の合図を受ける。多少背風気味の横風を受けて薄い砂地の滑走路を高速滑走。 やはり浮上が苦しい。ターンして停止。 今度は迎え風気味の横風の元で予備回転をフルにかけてスタート。 一応第1段階の飛行となった。
状況が多少つかめたので ターンしてゆっくり戻り2回目の飛行を目指す。 但し ここで周回飛行には出ないと決めた。気を入れて予備回転を与えてスタート。 さほど走らずに離陸。 加速して多少急な上昇をして イベント本部前で減速して降下に移った。始めに待機していたあたりを狙って着地するつもりだったがスリップ気味でうまく接地出来そうになく ずっと先へ延ばしてふらついて着陸。
以上 慣熟訓練が 「 間に合わなかった 」 話で反省するところ大である。

素晴らしきホリデー @ 角田滑空場
2002(平成14)年5月4日は 素晴らしきホリデーとなった。 きわどいタイミングで 国土交通省の飛行許可書は間に合った。
 
1 航空法第11条第1項ただし書きの規定(機体)に関して
許可期間 平成14年5月1日~平成15年4月30日 (1年) 
2 航空法第28条第3項の規定(操縦資格)に関して
許可期間 平成14年4月27日~平成14年7月26日 (3ヶ月)
3 航空法第79条ただし書きの規定(場所)に関して
許可期間 平成14年4月27日~平成14年5月26日 (1ヶ月)

許可期間は異なるものの 申請書で希望した第2段階の飛行(地表面からの高度3メートル以上)は認められたが 慣熟飛行訓練が不足なので 周回飛行には出なかった。
しかしこの日 裏方に回って活躍した現役の若い方々とも 短時間では有ったが親しく話す機会が有った一方で更に 全く思いがけない方々に再会し 昔話に花が咲いた。 旧知のその最たる方は仙台市の若生氏夫妻。若生氏は親子で東北地方初のジャイロ・パイロットとなった方であり 今はやっていないが奥さん共々健在。で 昔話があまり遡ると私は奥さんに弱み(?)が有るので いささか逃げ腰になる(その経緯に付いてはいずれアップ予定)。とまれ久々のナイス・ホリデーであった。

g7kakuda角田市滑空場
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超低揚抗比ジャイロプレーンと超高揚抗比セールプレーン

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 ウインド・メーター左右の赤と青は鯉のぼり式ヨー・インジケータ

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 ウインド・メーター左右の赤と青は鯉のぼり式ヨー・インジケータ

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嬉しからずや その1  
登録番号 「 0121 」 
平成14年5月4日早朝 角田滑空場入り口でトレーラに積んだジャイロに気づいて 本部エリアからこちらに向かって歩いてくる長身の年輩者~大友宏之氏で有ることはすぐに分かった。 「・・・忙しい中 遠くから来て頂き・・・」と丁重な御挨拶を受け恐縮した。
実はチョットしたきっかけで一昨年 霞目(かすみのめ)飛行場でお会いして御世話になった。 その時出た昔話で私は初めて知ったのだが 氏は高校生の頃から霞目飛行場に出入りしていて 北日本ソアリングクラブ(現 仙台グライダークラブの前身)で活動していたとの事。私達は大学中学年(?)の頃で 宏之氏のお兄さん(正しい御名前は失念した)が北日本ソアリングクラブに所属していて 私達は折にふれて このクラブの方々から何かと御教示頂いたのだが このお兄さんはとりわけ個性の強い方で どちらかというと 大人の世界の機微にふれたお話が印象に残っている。
弟の宏之氏は今 宮城県滑空界のリーダーとして活躍 社会人のみならず学生や青少年の指導に当たって 「私達の青春の霞目」の維持管理に気を配って下さっている。 そのような訳で 氏は今から遡る40年間の霞目飛行場にかかわる殆ど全ての事を知っている。この度のイベントの展示飛行の締めくくりは 大友氏が操縦する ピラタス B4 (JA 2317) による グライダーのアクロバットで有った。
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所でこの日 私より40才程も若い方から意外な話が出た。 持ち込んだジャイロプレーンG7-R447 の識別記号 JE 0121 の番号が私達が昔使用していた荻原式 H22 セコンダリ・グライダーの登録番号 JA 0121 と同じく 「 0121 」 だと言うのである。これは偶然なのだが 私が初ソロに出た機体がこのJA 0121だったので この話題 「 嬉しからずや 」。仕掛人(?)は大友宏之氏と確信する。
なお私にとっては JA 0121 と全く同じ仕様の JA 0128  にも深い愛着があった。 一つにはこの機体で空を初体験したからである。

嬉しからずや その2
イベント後のメールより

A
さんから: イベント終了後 宮城県内のNHK以外の民放各社のニュースで取り上げられ
        ほとんどのニュースが**さんの飛んでいるところでした。いろんな人の注目
        がジャイロコプターにあったようで次の日にも「ジャイロコプターいないの?」と
        いわれたくらいです。
B さんから: 夕方のニュースでは宮城テレビや仙台放送がジャイロの飛行をアップで映して
        いましたよ。 ジャイロはやはり珍しいのか注目されますね。
ささやかにジャンプ飛行しただけなのに このような反応。 滑空場に沢山並んでいたのは型式証明 或いは耐空証明を有する実用機。グライダーないしはセールプレーンと曳航機或いは自家用軽飛行機だったのだが~~~これまた 「 嬉しからずや 」。

C さんから: 「これがジャイロだ!」という飛行を見せて欲しかった。
C さんは以前に私の よりマシな飛行を見た事がある方で 私もその様にしたい事はヤマヤマだったのだが いかんせんブランクが長く慣熟訓練未了。 かつ初めての環境(飛行場)でもあり かなわなかった。 「反省してます」と リターン・メールした。

訓練再開空振り G7-R447 ジャイロプレーン
2003年(平成15年)6月8日(日)午後 県北梁川町河川敷の場外離着陸場へ出向いた。 1ヶ月ほど前から進めていたG7-R447ジャイロプレーンの飛行許可申請 全てが6月1日付けで許可になったのだが 1日は雨で取り止め 昨7日は秋田県で実施されたウルトラライトの講習受講でやはりだめ。 それで本日 ようやく訓練再開の手続きを済まそうと思っての事。 が あいにくクラブの誰にも会えず 空戻りとなってしまった。 近くで
作業中の農家の方に声をかけて聞いた範囲では 最近は活動が低調らしかった~今日は絶好のお天気だと言うのに残念。 まぁ本来急ぐ様な事でも無い 徐々にやろう。 昨日の講習でも 事故情報が少なからず有って 注意を喚起されたばかりなのだ。  

訓練再開 要らないオマケ付き
平成15年(2003年)6月14日(土) 梁川場外離着陸場(阿武隈川河川敷)で ようやく訓練再開。 滑走路面は砂が多く また短い丈の草による段差がかなり有って ブランクが永い自分にとってかなり手強い。 13時10分から風が和いだ時を見計らってタキシングと滑走訓練。 休憩を入れながら徐々に速度を増して慣熟。 燃料を補給して 低いジャンプ飛行 高いジャンプ飛行と段階的に進む。 そして最終的に17時 周回飛行に出発 梅雨空の高度400フィートを5分余り飛行して着陸。 今日はこれで十分である。 その後小雨となった事でもあり また明15日の天気予報も悪くないので シートをかけて屋外駐機して終了。

15日(日)頑張って いつもより早起きして滑走路へ行くと 少し蒸し暑いが無風状態。が 滑走路整備をやってくれた人がいるというのに 自分は眠くて眠くてやる気が起きない。ずるずる昼食となり 機体の点検整備などをやっている内に少し風が出てきたので13時30分ようやく訓練に入る。 ジャンプ飛行を繰り返して それから13時50分周回飛行へ出る。 高度400~600フィートを約15分間。 上がってみると風は下で想像したよりも強く
そのうち風向きも変わった様に思え 吹き流しの上で高度を下げて確認 離陸とは逆の方向から進入して着陸した。 休憩を入れて数回のジャンプをやって 早いけれど16時撤収準備 17時トレーラーを引いて帰路についた。
以上の2日間に飛行した超軽量動力機は1機で 聞いてみると たまたま皆さんの都合が悪くてクラブのメンバーが集まらなかったらしい。
一方14日夕方 周回飛行に出る直前思いがけなく いわき市の鈴木力氏 ( 故坂元氏の時代からのジャイロ愛好者)が 当地での所用かたがた寄ってくれて 自分のG7-R447ジャイロプレーンと その飛行を初めて見る事になった。
ついでながら。 訓練再開の14日には「オマケ」が付いた。それは自分の年が一つ増えた事。 そんな物は要らない。
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 梅雨空のもと G7-R447 久しぶりの飛行


活動低調  ハンガー・ジャック?
2003年6月21~22日(土日) 梁川河川敷離着陸場。 自分がいた時間帯は どういう訳か風が強くて~という事は乱気流が有るので~周回飛行には出られない。 夕方6時近くまでに数回のハイ・ジャンプ飛行でお終い。 カエル跳びしながら離着陸操作慣熟訓練という手も有るが とにかく滑走路面の状態が悪く 特に砂地部分が多いのでプロペラの傷みが気になってやる気が起きない。
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リダクション・ギア付きロータックス・エンジンの状態。 自分は今の機体(G7-R447)の他は経験が無く ギヤ部分のガタやノイズ あるいは全体の振動の具合が正常か否か見当がつかず そのような意味ではいつも不安が有る。 宮城県からの訪問者に話して 意見を聞いた所(触って聴いた範囲では)特別にオカシイとは思えないとの事。 ともあれ自己責任のもと慎重に行こう。


 ところで ここの超軽量飛行機クラブのメンバーの飛行活動は今回も低調と言うか 全く無かった。 仕事の都合という方もいた様だが 他の大きな理由が有った。 飛べる機体が殆ど無い~要整備 要修理機体がこの時期に固まってしまったらしい。  例えば <屋外係留した機体が風で勝手に飛んで(?)川に入った> <駐機エリアで整備中の機体が勝手に走りだして藪へ向かった>。 これらは人ごとではない 自分も十二分に注意しよう。 そして <格納庫内の機体のエンジンからリダクション・ギアボックスだけが取外され 持ち去られた!(注)> その取外しには相当の技術なりが要るそうだが まぁヒドイ話だ。
注 : ROTAX GEARBOX Type B, Provision 8 , 両側にラジエータ・サポート穴が有る"New Style"だそうで 警察へ盗難届出済みとか。

砂対策  プロペラ前縁保護テープとテイル・スキッド
滑走路の砂対策として プロペラ先端部の前縁にステンレス・テープを貼り付け 尾輪の下に小さな板橇を取り付けた。 7月5日(土)の夕方4時から訓練開始。 6日(日)夕方5時に撤収するまでにエンジン・アワーメーターは約3時間進んだ。その間2回の周回飛行時間は合計30分。 だから残りの2時間30分はエンジン・ラン
アップとタキシングと滑走とジャンプ飛行。 ピカピカツルツルだったステンレス・エッジは下の写真のごとく変わり果て メイン・ランディング・ギアのブレースのがたも酷くなった。そして座席のクッションも不足~お尻と機体の健康に良くない~要対策!。
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 傷んだプロペラ前縁のステンレス・テープ

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 砂が特にひどいピスト前の滑走路面とテイル・スキッド

車中泊して2日間の訓練

7月13日の訓練飛行以来 しばらくやれなかったが 8月2日(土) 3日(日)の2日間は十分楽しめた。 事情が許したので 2日の夜はピストの駐車駐機場で車中泊した。少し蒸し暑くて 窓から両足を突き出して そのまま眠ってしまって蚊にやられた。プロペラの損傷が面白くないので ジャンプ飛行訓練は最小限にし 2日間に計6回の周回飛行に出て エンジン・アワーメーターは2時間強進んだ。 今回は最近ゲットした特定小電力トランシーバーもテストした。
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 梁川場外離着陸場上空700フィート
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 無くても良いのだが 鯉のぼり式ヨー・インジケータも悪くない

車中泊して2日間の訓練(2
梅雨もどき(?)前線の北上に伴って 天気が崩れかけている 8月16日(土)場外離着陸場へ出向いた。 現地に近づくと 飛行中のウルトラライト機とモーター・パラグライダーが見えた。 今にも降り出しそうな雲が有って空気は湿っているが静穏な空。遅ればせながら準備完了して4時過ぎから2回の飛行。 
明日の天気に期待して今回も車中泊。 夜半から小雨となったが夜明けまでに降り止んで 17日(日)午前中は持つであろうとの見通し。 で10時前から飛行開始。 前日同様空は静穏であるが 少し高度を取ると顔に冷たい物が当たる。 浮遊する水滴~霧でひどくは無いが嬉しくもないので 高度500フィート以下で滑走路周辺を飛び回って20分。昼前から雨が降り出し止みそうも無いので14時撤収。030817b
 上は17日早朝


車中泊して2日間の訓練(3)

久しぶりの青空を見た8月23日~24日。 今回も車中泊して2日間の訓練。 
24日の日曜日にはモーター・パラグライダーの他に2機の固定翼機も上がったので
最近では珍しく賑やかな空となった。 もっとも午後は高温で無風に近く上昇は悪かった。
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prop保護テープが剥がれ飛び 更に木部が傷んだジャイロのプロペラ


次はジャイロプレーン JE 0121 のログ・ブックから。
平成15年8月23日(土) 14:50~15:15   前後のジャンプ飛行と 10分間および
                              5分間の2回の周回飛行。
                 16:20~16:40   同じく 15分間の周回飛行

              24日(日) 09:20~09:35   15分間の周回飛行
                      10:45~11:05   20分間の周回飛行
                      12:00~12:15   15分間の周回飛行
                      13:40~13:50   10分間の周回飛行
                      14:15~14:25   10分間の周回飛行

車中泊して2日間の訓練(4)
天気の見通しが良くない30~31日 8月最終土日曜日。 JE 0121 フライト・ログブックから。
30日  (14時 搬入)

      15:10~15:40 ジャンプ飛行と15分の周回飛行
     16:45~17:00 15分の周回飛行
(車中泊)

31日  11:45~12:05 ジャンプ飛行と10分の周回飛行 (14時 撤収)
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一時的に回復した空

ごく最近接近した火星 今晩(30日)の曇り空では見れないだろうな しかしひょっとして雲が切れて見れるかもしれない なんて期待しながら 時々小雨が降る河川敷の車中で飲食し 野球ナイター放送なんかを聴き そして結局 星は全く現れず2時頃(?)就寝。
何やら鳴ったような気がして しばらくして あぁそうだ 携帯電話だと気付いたが既に切れている。 
(31日)7時半頃で車の外は雨 吹き流しを見ると北東の風 遠くにある山々は全て雲に隠れている。ラジオの8時と9時の天気予報によれば 降水確率午前中60% 午後30%。 10時過ぎ雨がやんで 川向こうの近い小山の上で2羽のトビが舞い始めた。周辺の山の一部が見えるようになり しかしまた隠れて小雨。 トビもいなくなった。 11時頃から山々の頂きが良く見えるまでに天気が回復したので 機体にかけたカバー類を取り外して飛行準備開始。 計器盤から座席部分にかけたビニール・シートには金魚が飼える位に雨水が溜まっていた。 ワックスの効きが残っているローター・ブレード上の水滴は予備回転装置を駆動して吹き飛ばした。 周回飛行は寒かったが頑張って(?)10分間。 降りてエンジンをカットして 手のひらをサイレンサーに近づけて暖を取った。

9月の訓練記録
平成15年(2003年)9月 
G7-R447 ジャイロプレーン訓練記録
      9月7日(日) 13:45~14:10 
         15分の周回飛行


  14日(日) 14:15~15:05 
         台風14号の余波(?)強風のもと
         地表面を這う様な低空ジャンプ飛行
         指示対気速度およそ20mph
         対地速度 人が歩く程度

          17:00~17:20 
         ジャンプ飛行と 10分の周回飛行

  15日(月) 13:50~14:10 
         強風のもと 低空ジャンプ飛行

         16:45~17:15 
         ジャンプ飛行と15分の周回飛行

  <21日(日) 23日(火 秋分の日) 
           台風15号の余波(?)で雨>

  28日(日) 13:25~13:50 
          ジャンプ飛行と15分の周回飛行

          15:00~15:45 
          45分の周回飛行

          16:25~16:40 
          ジャンプ飛行と10分の周回飛行
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摩訶不思議な1枚
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                                               ???

平成15年(2003年)9月 14~15の連休。 珍しく ジャイロの飛行を見たいなどと家内が言い出し それで14日(日)は機体を河川敷に置いて帰宅し 翌15日(月) 久しぶりに飛行場へ連れて行った。 
前回は 飛行のメインがウルトラ・ライトプレーンだった頃平成5年4月24日(土)だったので 一昔前の事。 
G7-R447型ジャイロの飛行を直接見るのは初めて(映像では見ている)。 扱いは「写真担当」。 所でこの様な場合 従来の例ではいつもトラブルが発生した。 ガス欠不時着大破(G6 ジャイロ)とヘルメット脱落(QS MXII-HP ウルトラライト)。 車中その様な昔話も有ったが今回は何事も無く帰宅した。
何事も無く・と思った・が さにあらず。 デジタルカメラをコンピュータに接続して驚いた。
摩訶不思議な1枚が紛れ込んでいた。 やっぱりやってくれた。

FAI のネクタイ

8月某日 一通の封書が届き 「着用の上おいで下さい」とあり FAI のシンボル・マークが入ったネクタイ(写真)が同封されていた。 平成15年(2003年)「空の日」パーティ等の案内である。
9月19日(金)上京 新橋の航空会館へ赴くと 本ウェブ・サイトの資料等で御世話になっている (財)日本航空協会のN氏が案内して下さったので 戸惑わずに済んだ。
本日のきっかけを作って下さったEXAL会長氏ともお会いし またG7-R447型ジャイロプレーンを審査して下さったS氏にも 久しぶりでお会い出来た。
パーティの冒頭 来賓挨拶にあった 「~動力飛行100周年~行政にとっては航空技術の進歩発展に追われた歳月だった~」旨の発言(国土交通省航空局の方)が印象に残った。
今後も そのように有らねばならないと思う。
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FAI-hyousyo
   この日 FAIからの AIR SPORTS MEDALと 表彰状をいただいた    

ようやく100時間(エンジン・アワー)
JE0121(G7-R447型) 2003年10月11日(土) 午後からのジャンプ飛行および周回飛行訓練でエンジン・アワー・メーターは1.2時間(72分)進み メーター指示時間はようやく100時間を越えた。 ローターが回っていた時間 空中に浮いていた時間はどれ位だろうか。タイム・チェック項目は何だろう。
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 平成15年10月11日(土)午後  阿武隈川河川敷場外離着陸場

新計器パネル
有り合わせの取付パネルを寄せ集めた様な計器パネルが気になっていた。漸く新しいのが出来たので10月25日(土)26日(日)はこれに代えて飛行した。状況によっては高度計の指針が大きく振れたので取り付け位置を昇降計と変えたらそれは無くなった。 根本的な解決策では無いので宿題が残った。

飛行記録 25日(土) 11回のジャンプ飛行と1回の周回飛行 計 0.8時間
       26日(日) 13回のジャンプ飛行と1回の周回飛行 計 1.1時間
      -------------------------------
                                合計 1.9時間 (1時間54分)
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燃料タンクミラー
G7-R447(JE 121)ジャイロプレーンの燃料容器は市販のポリタンクで 燃料ゲージは無い。タンクが座席の後方エンジンの下に有るので 飛行中 燃料残量の確認は容易で無かった。 思案の末(?)決心(!)して 今回左ラダー・ペダルのフット・バーにモーター・バイク用の小さなバック・ミラー(凸面鏡)を取り付けた。
飛行中の角度調整も簡単 足を伸ばしてつま先でちょこちょこやれば良い~これは「飛行試験」で確認 OKだった。

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写真は「飛行試験」の様子で 座席から見た鏡の状態と鏡像の拡大。
平成15年11月1日(土)夕方。


飛行時間 60分をトライ
限られた場周空域内での周回飛行。 コースは任意自由に変える事が出来る。 しかし自分は一度上がれば10~15分飛行すれば十分で有る。これまでに 45分間の飛行は何度かやっており それが最大時間。 なぜ45分か。燃料タンクを満タンにして離陸した事は無い ほどほどに入れて上がっても 間もなく飽きちゃって降りたくなる。 しかし時に 20分飛ぼう 30分頑張って見ようってな調子で少しずつ時間を延長してきた。 滞空時間が増えれば当然燃料は減り 残量が気になる。JE 0121 の燃料タンクは市販のポリタンクで 燃料計用のユニットは取付けて無い。エンジンの下 座席後ろ下に有るタンクを 飛行中に見るのはかなりやっかいで 高度に
余裕が無ければやれない。 更にタンク内部にはバッフル・プレートの類が無いので機体姿勢や揺れによって 残量を見誤る恐れがあるから まだ十二分残っている内に着陸する必要が有る。 そのような事で出した結果が何回かの45分の飛行だった。航続時間が1時間以上ある事は分かっていたが やはり一度は 実際に飛んで確認したいと考えていた。 単純確実なバックミラーを搭載(!)する事によって 飛行中に体を無理にひねって後ろ下を覗き込まないで 従って機体姿勢を崩さずに残量確認を出来るようにした。 かくして 平成15年11月2日(日)の午後 60分の飛行を初めてやった。まだまだ飛べる事は明らかだったが パイロットにやる気が無くて 1時間を間違いなく超えた時点で降りた。
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1時間の飛行を終えた後の燃料残量 これから推定するに まだまだ余裕が有る


60分飛行顛末記

区切りの良いハードル「1時間の飛行」をやるべく準備をした。
準備=燃料残量確認装置=バックミラー。 
大げさな話だが 自分の活動の一つの通過点でも有るので 記録しておく。
11月1日(土) 高気圧に覆われて 超軽量航空機にとっては嬉しいお天気。午後 阿武隈川河川敷に着いて トレーラーから機体等を降ろし ローターを組立て 取付ける。 この好天気なのに どういう訳か他には誰もいない。最近の土日曜日には超軽量飛行機も珍しくなく飛んでいたのだが。 3連休のせいか。 
自分は燃料タンクを見る為のバックミラーの機能(?)を早く確認したい。2時過ぎから12回のジャンプ飛行をやった。 フットバーにゴムブッシュを介して差し込んであるミラーは 滑走や着陸の衝撃にも耐えて ずれる様子はない。あとは通常の飛行で受ける風圧でどおなるかだ。3時過ぎて ウルトラライトの仲間Sさんが友人を伴って現れた。 この時間から 燃料を満タンにして 数回のジャンプ飛行をやってそれから「1時間」では 撤収作業の事を考えると余裕が無い。 で ミラーの飛行試験に的を絞って 2回のジャンプ飛行の後上昇した。 
周回飛行中にミラーの向きが変になる事は無かった。 試しに左足つま先でミラーをこじって その向きを変えてみたりした。 15分飛んで着陸。 その後6回のジャンプ飛行をやり機体を屋外係留して帰宅。 
似たようなお天気が見込まれる明日に期待。

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11月2日(日) 昨日同様大変穏やかな日よりで最高気温は24°C位まで上がったらしい。今日は超軽量飛行機も3機集まって快調に飛行。自分は11時頃から昨日の残りの燃料で5回のジャンプ飛行を実施 全ての調子は昨日同様良好である事を確認。ローターブレードをワックスで磨いて 燃料を目一杯入れて 13時過ぎピストにトランシーバーを預けて交信テスト。飛行場西端の出発地点へジャンプ飛行して移動。1時間の飛行を目標に「離陸する」旨送信して滑走開始。ノーズが浮いて予備回転を切り離して加速。もっと加速して浮上・・・となる筈が そうならなかった。
れっ? エンジンが吹上がらない。 5000rpm位で頭打ち。 離陸を諦めてスロットルの具合をあれこれ操作しながら そろそろとピストへ戻って近くの空き地に駐機。 「エンジン不調・・・離陸中止」を送信~恥ずかしいったら ありゃーしない。
これまで数回の経験上 原因は見当がついた。燃料系統 キャブレターのジェットの詰まりの類。ローター回転が下がるのを待って近くのホームセンタへ走りスプレー式クリーナーを購入した。戻ってエンジンの下へビニールシートを敷き そこで取外したキャブレターの分解点検掃除をやった。原因の異物?をルーペで探しながら出来る限り分解した。これと特定出来るモノは無かった。従来もそうだった~見つける事が出来なかった。でジェットやポートやバルブを歯ブラシで掃除して布で拭き そして圧縮空気代わりのスプレーをしつこくかけて洗い流した。ルーペで再確認しながら組立て 最後にまたスプレーをかけて フロートチャ ンバーを閉じ エンジンに取付けて完了。プライミングポンプを揉んで 通常の手順でエンジン始動。暖気運転の後 機首を急傾斜地に向け座席に乗ってスロットルを徐々に開くと 回転数は元に戻っていて 機は急傾斜を無理に昇ろうとする。
いつもの様に一応一件落着。14時30分近かった。
キャブレター整備中 飛び回っていたウルトラ飛行機も 今は翼を休めている。 ぐずぐずしていると又 夕方になってしまう。テストジャンプ飛行をやって 1時間滞空を目的に14時半過ぎ離陸。高度500フィートを維持しながら 出来るだけ低いエンジン回転数(水平飛行で 指示回転数5200位)で周回飛行。図の黄色線で囲んだ範囲(西の高圧電線と東の橋梁の間 東西間1km強)に制限して飛行。飛行許可はもっと広い範囲で取得して有るのだが 本日の先のトラブルを考慮して押さえた。しかしコースに変化をもたせながらも この狭い範囲での飛行は15分も経つとやっぱり飽きてしまう。そしてどーゆー訳か時々覗く腕時計の進み具合が大変遅い。20分経った頃 無線連絡が有ってウルトラ機が離陸して しばらくして別のやつが上がった。同じ空域に自分の他に1機 合計2機なら見張りも何とかなるが 3機となると非常に難しい。高度を700フィートへ上げて旋回しているうちに2機とも見失った。漸く30分経過。更に30分は長いなー。幸いエンジンの調子は安定している。ウルトラライト1機が進入着陸した。しばらくしてもう1機着陸。45分経過した頃気が付くと強くは無いが北からの風に変わっていた(離陸時は無風に近い東からの正対風)。 燃料は十分残っている。ウルトラが1機また上がった。自分の飛行範囲を風下側陸上部(図の赤色線で囲んだ部分)に制限した。 高度も再び500フィートに下げた。 1時間滞空まで残り5分となった。バックミラーで見る燃料タンクは まだまだ飛べる事を示しているが 今の自分にはやる気がない早く降りたいだけ。この最後の5分が特別長く感じられてピット上空周辺を何回も何回も旋回して消化に努めた。60分経過を腕時計でシッカリ確認して さっさと進入着陸した。エンジン・アワメータの指示をメモしたりして機から降りてみると腰が少々痛かった。
 

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飛行記録 14:35~15:35 60分周回飛行。 ささやかな個人記録挑戦の顛末 以上。



コックピット・エンクロージャは有るものの密閉式でないジャイロプレーンでギリス縦断ノンストップ飛行。地図と地形を見ながら 約800kmを6時間25分連続飛行した 英国K.H. Wallis の例は想像を絶する。

12月の記録
2003年(平成15年)12月の活動記録

 12/6  JML 操縦者安全講習会出席

 12/7  阿武隈場外離着陸場ミーティング参加

 12/14 ジャンプ飛行24回

 12/30 ジャンプ飛行 3回 (Kファミリー)(強風)

 12/31 阿武隈川河川敷場外離着陸場整備作業

2003年11月の飛行記録から

11月 8日(土) 2回のジャンプ飛行と 3回の周回飛行(10分/10分/15分)
           夕方最終飛行の時 阿武隈川の対岸に県警のパトロールカーが停車
           して しばらく見ていた。
11月23日(日) 6回のジャンプ飛行と 1回の周回飛行(15分)
           ローター・タコメーターの較正を試みた~前々からの懸案事項。
11月24日(月) 6回のジャンプ飛行と 3回の周回飛行(10分/15分/15分)
           ローター・タコメーターの較正を再び試みた。
r_tacho1r_tacho2
 較正の基準(?)として期待した自転車用デジタル速度計とその表示

12月の記録

2003年(平成15年)12月の活動記録
   12/6  JML 操縦者安全講習会出席

 12/7  阿武隈場外離着陸場ミーティング参加

 12/14 ジャンプ飛行24回

 12/30 ジャンプ飛行 3回 (Kファミリー)(強風)

 12/31 阿武隈川河川敷場外離着陸場整備作業


2004年飛び初め
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   阿武隈川場外離着陸場 平成16年1月1日G7-R447より

平成16年(2004年)元日.。ウルトラライト仲間と飛び初めを計画した。残念ながら風が強く集まったのは自分を入れて3名。 昼を過ぎて風は弱まる傾向だったが 誰もが正月の用事が有るので そこそこに引き上げなければならない。結局 昨年末から機体を場外離着陸場に駐機していたジャイロが10分間の周回飛行に出て それでお開きとした。

1月の飛行訓練記録から 1
  巨大な バックミラー
この冬 当地方(福島県中通り)は比較的暖かく 根となって残る様な本格的な雪はまだ無い。 週末のお天気に気を配り~配った所でどうしようもないのだが~悪くないと見れば飛行訓練へ出掛ける。
自宅から約10キロ離れたホリデーハウス(機体格納小屋 注)へ行き ジャイロを載せてあるトレーラーを引き出してマイカーに結合する。 ここまで大体30分。 次に国道4号線へ出て北上 凡そ80キロ離れた県北の河川敷へ向かうのだが 特別な渋滞などが無ければ2時間ほどで現地に着く。 通常 休憩などを挟んで3時間弱の行程。 その間 牽いているトレーラーと機体の状態が気がかりで多少緊張を強いられるが その事を除けばまぁ退屈でこれまでとりわけ変わった事も無かった。
mirror巨大な バックミラー

ところで どうと言う事でもないのだが12日(月曜 成人の日)には ちょっとした退屈しのぎの間が有った。 少なからぬ時間 タンクローリーのすぐ後ろに付いて走り 停まり また走った。 ステンレス製円筒タンクの後面は綺麗に掃除されていて曇り無く こちらから見れば巨大なバックミラー。 当方の自動車や後ろの機体上部が丸ごと移っている。とは言っても細部が見える訳でも無いのだが写って移り去る景色の変化に飽きが来なかった。

< 飛行記録 / 平成16年1月12日(月) / ジャンプ飛行 4回 
                            / 周回飛行 2回 15分 及び 10分 >


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  山頂部に雪が見えるのは 安達太良山

宮城県へ移動  セミネ飛行場の格納庫に収まった
04年3月7日(日) G7-R447 JE 0121ジャイロプレーンを宮城県栗原郡瀬峰町にあるセミネ飛行場(瀬峰場外離着陸場)へ搬入した。 これは同飛行場を管理する 東日本パイロット協会主宰者 佐々木逸馬氏の御厚意によるもので 滑走路を使用して良いと かねてからお誘いを受けていたからで有る。片道6時間 約200キロメートルを走って 夕方 一面が少し雪に覆われている飛行場に到着。トレーラーから降ろされたジャイロは超軽量動力機の格納庫に収まって扉は施錠された。数機の実用軽飛行機は冬期間も屋外係留されているのだから 贅沢な話ではある。 4月から少しの間 ここで活動する予定だが何回通えるかは分からない。
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舗装滑走路 ~ 館林大西飛行場以来30数年
3月7日に搬入してから 初めてセミネ飛行場(宮城県栗原郡 瀬峰場外離着陸場)へ行った(2004年4月25日(日))。あいにくの強風 硬化した燃料ホースの交換整備作業をし 夕方ローターを取り外した状態で滑走路を1往復タキシングして終了とした。
タキシング中の対気速度は 向かい風で20~25~30mph 追い風で0~5~10mph程度。

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2004年4月 瀬峰場外離着陸場 滑走路端にて G7-R447ジャイロから

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1971年8月 群馬県館林市 大西飛行場に於ける G6-2DKジャイロ


自分のジャイロプレーンが舗装滑走路を走行したのは 1971年8月 群馬県館林市の大西飛行場で開催された 第1回フライイン(注1)以来だから 30数年ぶり。
日本の自作航空機のパイオニア大西勇一氏が 自作機(当初はジャイログライダー)を運航する為に 滑走路まで自作した事から始まった大西飛行場は去る3月に閉鎖となりその歴史に幕を降ろした。 うっかり建ててしまった建築物が 進入表面から突き出た事が関係する様な話も聞いたが 定かでは無い。


セミネ飛行場の空  ウルトラライト以来17年
宮城県栗原郡瀬峰町にある瀬峰場外離着陸場~通称「セミネ飛行場/セミネ・エアポート」には 以前に何度か行った。最初は ジャイロプレーン操縦技能認定試験の申請を受けて。次は 超軽量動力飛行機の飛行訓練の為。その後は 見学に行ったり 通りがかりのついでに立ち寄ったりなどだが 出不精の足を結構運んでいる。
5月2日(日) 瀬峰場外離着陸場 G7-R447型 JE0121ジャイロプレーン。 
強風が収まるのを待って 夕方2回のジャンプ飛行。
5月9日(日) 同。 午前 ジャンプ飛行に続けて周回飛行(15分)。
              午後 ジャンプ飛行に続けて周回飛行(10分)。
自分にとっては1987年の ウルトラライト・スピットファイア以来17年ぶりの「セミネの空」となったが ここではかつて地元宮城県のジャイロフライヤー若生氏親子が活動していた他 関東地方からも 折りにふれてジャイロフライヤーがやってきて飛行した。 (?)年には第1回東北航空ショー出場の為に 千葉県から2人(堀田重雄氏 山口喜好氏(房総ジャイロクラブ))と茨城県から1人(谷口憲男氏(茨城ジャイロクラブ))が 遠路はるばる機体持参でデモンストレーション飛行をやった事も有る。semine1
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  May 9, 2004
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 May 2, 2004  遠方に有るのはセスナやパイパー機semine5
 May 9, 2004 赤色はモール機(Nナンバー) 

G7-R447 セミネ実績  願っても無い環境~また飛びに行こう
2004年(平成16年)6月27日夕方 諸般の事情を考慮して G7-R447型ジャイロプレーン JE0121を 宮城県のセミネ・エアポート(瀬峰場外離着陸場)から 郡山市へ持ち帰った。昨2003年末から計画して 今年1月から飛行許可を取得 3月に搬入してその後 常駐して有ったもの。 天候が悪くないと見れば 日曜日ごとに通って飛行するつもりだったが 天候の他の都合で行けない場合が結構有った。 しかし 行けば機体はローターを取り付けた状態でハンガーで待っていてくれる。 要所のカバー類を取り除き 燃料補給やプリフライト・チェックが済めば 即 舗装滑走路へ出て活動出来る。 言う事無し 願っても無い環境で有る。 この環境の活用に多少慣れたかなという今になって 遠出がはばかられる事情が出来た。 ほんとうに なかなかちょうどしないもので有る。 かくして6月27日午後現地に入り 機体の整備をして夕方 ジャンプ飛行と周回飛行に出て それからトレーラーに積み込んで撤収準備完了。 そして前からやろうやろうと思っていたが出来ずにいた草刈りの手伝いを 持参したエンジン刈り払い機を使用して短時間やって 今回はお終いとした。 また機会を作って
ここ セミネの空を楽しもう。
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    瀬峰場外離着陸場に於ける G7-R447型ジャイロプレーン JE0121飛行実績
    2004. 5. 2 ジャンプ飛行2回
          5. 9 ジャンプ飛行2回 周回飛行2回
          6. 6 ジャンプ飛行2回 周回飛行2回
          6.27 ジャンプ飛行2回 周回飛行1回
 -------------------------------------
      着陸回数13回 / 飛行時間合計 1時間25分

不整地へ復帰 移動の為の費用と時間 その他 利害得失
争点「コイズミ」とか云々された選挙の日 7月11日(日)午後遅く 久しぶりに梁川町の阿武隈川河川敷へ出掛けた。ウルトラライト飛行機はいなかったもののヘリコプターを見かけた。 搬入したジャイロをトレーラーから降ろして ローターを組み立てて取り付けて4時過ぎから9回のジャンプ飛行を実施した。滑走路面の状態は残念ながら良くない。 不整状況を理解して それに慣熟する為の運行に徹した。凹凸が激しい滑走路は機体の為にも良くない。 が 生えている草との相乗効果(?)で 予備回転作動中もブレーキの必要が無い~と言うか効きの悪いノーズ・ギア・ブレーキでも何とかまにあう。 しかし 安定した離陸滑走と浮上は望むべくも無い。 但し 着陸接地操作はゴマカシがきく。 先月まで通った宮城県北の滑走路は簡易と言えども舗装してあった。 ブレーキは全く役立たずだったが 滑走路端へのタキシング中に予備回転させておけば 後はスムーズに離陸出来た。もっとも着陸でふらつけば それを路面のせいには出来ない~ごまかせない。福島県北のここへ通うのと その先の宮城県の場外へ通うのとでは 移動の為の費用と時間が 大雑把に2倍程も違うのである。 それが理由で不整地滑走路へ復帰した訳ではないが 以上 脈絡無い争点 いや 利害得失。

飛行時間を稼いだ2日間
目的は有ったのだが 7月下旬は地上走行だけに終わった。XG8型に一時搭載した ロータックス447エンジンを 再びG7型に戻して気分転換。
8月7日(土) 8日(日)は飛行時間を結構かせいだ。 特に8日は マイクロライト・プレーンやモーター・パラグライダーも現れて賑わいを見せた。更に 大変珍しい方々の訪問も受けた~別項を予定。
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8月8日
飛行記録
2004年8月7日(土) ジャンプ飛行と5回の周回飛行で飛行時間合計    50分
       8月8日(日) ジャンプ飛行と6回の周回飛行で飛行時間合計 1時間55分

珍しい訪問者 
ここ阿武隈河川敷で超軽量航空機が飛び始めた頃は 珍しさも有ってだろうか ここを訪れる方々もかなり多かったと記憶する。 最近は活動低調のせいでも有ろう 常連?の方々が時折顔を見せ そして毎回同じ質問をする。
8月8日(日)。 この日は違った。 私にとって大変珍しく そして嬉しい方々だった。
今日は飛行時間を大分稼いだ 燃料も残り少ない。 そろそろ撤収しようかなんて思いながら休憩していた所へ 訪ねて来た若い男女のカップルは 次の様に言った。 「飛んでいるオートジャイロを初めて見て 追いかけて来た」。「これは・・・?」 とか 「ヘリコプ ・・・??」 とかでは無くて ずばり 「オートジャイロ」とおっしゃった。非常に珍しく また大変嬉しい事。
このお二人(ご夫婦)は共に「福島県消防防災航空隊を支援する会」のメンバーで宮城県柴田町で行われた防災関係イベントの帰り道に ヘリコプターではない回転翼航空機を見かけて正しく「オートジャイロ」と認識して河川敷を訪ねて来られたのである。見れば本格的?な大きなカメラをお持ちで 聞けば航空隊の皆さんの活動を記録して差し上げるが為との事。 そのような会とその活動の事実も やはり私にとっては驚きだった。
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 安部(Anbe)さん御夫妻 平成16年8月8日(日) 午後

航空写真を目的としていない 私達一般の機材と技術では 飛行中の航空機の写真撮影は 易しいとは言えない。 そして ローター・ブレードが2枚の回転翼航空機ではブレードがどの位置に止まって写るかによって見栄えが全く違ってしまう。 これは好みの問題でもあるが そのような訳で 数を撮らないと結果が出ない。 だから この様に考える自分自身が 他の方が飛行する写真を撮っても まず意図した写真にならない(これは機材のせい?)。 逆に 数をこなしておけば 偶然意外な映像が残っていたりする(これは技術の故?)。
で 恐る恐る お願いした。 もう一度飛行するから撮影して 「1枚で良いから ぜひ送って欲しい」。

珍しい訪問者 
ここ阿武隈河川敷で超軽量航空機が飛び始めた頃は 珍しさも有ってだろうか ここを訪れる方々もかなり多かったと記憶する。 最近は活動低調のせいでも有ろう 常連?の方々が時折顔を見せ そして毎回同じ質問をする。
8月8日(日)。 この日は違った。 私にとって大変珍しく そして嬉しい方々だった。
今日は飛行時間を大分稼いだ 燃料も残り少ない。 そろそろ撤収しようかなんて思いながら休憩していた所へ 訪ねて来た若い男女のカップルは 次の様に言った。 「飛んでいるオートジャイロを初めて見て 追いかけて来た」。「これは・・・?」 とか 「ヘリコプ ・・・??」 とかでは無くて ずばり 「オートジャイロ」とおっしゃった。非常に珍しく また大変嬉しい事。
このお二人(ご夫婦)は共に「福島県消防防災航空隊を支援する会」(注)のメンバーで宮城県柴田町で行われた防災関係イベントの帰り道に ヘリコプターではない回転翼航空機を見かけて正しく「オートジャイロ」と認識して河川敷を訪ねて来られたのである。見れば本格的?な大きなカメラをお持ちで 聞けば航空隊の皆さんの活動を記録して差し上げるが為との事。 そのような会とその活動の事実も やはり私にとっては驚きだ
 った。
安部(Anbe)さん御夫妻 平成16年8月8日(日) 午後
航空写真を目的としていない 私達一般の機材と技術では 飛行中の航空機の写真撮影は 易しいとは言えない。 そして ローター・ブレードが2枚の回転翼航空機ではブレードがどの位置に止まって写るかによって見栄えが全く違ってしまう。 これは好みの問題でもあるが そのような訳で 数を撮らないと結果が出ない。 だから この様に考える自分自身が 他の方が飛行する写真を撮っても まず意図した写真にならない(これは機材のせい?)。 逆に 数をこなしておけば 偶然意外な映像が残っていたりする(これは技術の故?)。
で 恐る恐る お願いした。 もう一度飛行するから撮影して 「1枚で良いから ぜひ送って欲しい」。

プレッシャー(?)の元で撮影された写真
 ~ 「珍しい訪問者」の続き
話の中でも 後から頂いた手紙や電子メールの中でも オートジャイロを正しく「オートジャイロ」としか 言わない 書かない。「ジャイロ」とか「ジャイロコプター」とか「ジャイロプレーン」なんて事は一言も言わない書かない 全く珍しい貴重な訪問者。
「いろいろな出会いが嬉しくて 夫婦で出歩き あちらこちらに現れます」とおっしゃる安部さん御夫妻。私が言外に(?)かけたらしいプレッシャー(?)の元で撮った写真を沢山送ってくれました。 すみません&ありがとう。
期待に違わずナイス! お願いした甲斐が有りました。 私の好みで選んだ物を掲載します。
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 Photographs by Mr. Hironobu Anbe and Mrs. Ayako Anbe / Aug. 8, 2004

Wallis Days 2004
 見学記 1  
英国のオートジャイロ大会 "Wallis Days 2004" を見学した。
2004(平成16)年8月21日(土)。

訳有りで ドタキャン覚悟で計画した英国旅行。 
大会見学をも日程に入れて 出発前々日に最終決断した。
準備不足であったが 今回何事もなく行って来られた事は Lucky & Happy 。

下は 第8回 " Wallis Days " 大会パンフレットから。

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Wallis Days 2004
 見学記 2  
元イギリス空軍のパイロット Kenneth Horatio. Wallis 氏。 Wallis 式オートジャイロで数々の世界記録を達成した Wallis 式オートジャイロを使用して多くの実務を成し遂げた等 この分野では偉大な有名人。 
Wallis の名前や業績を知らなくとも 氏が自前のオートジャイロを操縦して飛行する場面は 多くの日本人が見ていて記憶に残っている筈。 それは 日本でロケーション撮影された映画 邦題「007は二度死ぬ」の空中戦シーンを見たから。 
氏は自分で設計した最初のモデル Wallis WA-116 型オートジャイロ~映画の為に武装して "
Little Nellie" と名付けられた~を諜報員ジェームズ・ボンド役のショーン・コネリーの代役として 日本の鹿児島~霧島屋久国立公園の空を飛行。1966年の事で当時氏は50才。
2004年現在 オートジャイロの速度記録保持者でもあり  その公認世界記録は2002年11月16日 Wallis WA-121型(マッカラー90馬力)を使用して 3kmコースで達成した207.7km/h。    
その時の年齢は実に86才!。
その Ken. Wallis の非凡な業績をたたえて その名前を冠した大会が開催されるようになって 今年はその第8回目。 氏は88才。
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KEN WALLIS 氏 / 88才
21 Aug, 2004 / Shipdham Airfield, Norfolk, England にて


Wallis Days 2004 見学記 3
自分がグライダー操縦訓練を受けていた頃 日本の著名なグライダー・パイロットが 輸入した回転翼グライダー(ベンセン・ジャイロ・グライダー)を操縦し 不幸な死亡事故となった (注)。
 
それで日本のスポーツ航空 特に滑空の分野では「ジャイロ・なんとか」は敬遠されたいきさつが有り 自分も「ジャイロ・なんとか」には関心がなかった。  だから航空機の自作を計画しても それは軽飛行機とか動力付き滑空機で有った。 そのような目的で搭載するエンジンも入手した。

だが007映画でスリリングな戦闘シーンを見た。超小型の回転翼航空機が軽快に動き回っていた。その印象が残っているうちに Kenneth H. Wallis のオートジャイロを紹介する論文や雑誌記事が目にとまった。それを読んで計画中の自作航空機をオートジャイロに変更した。 Wallis WA-116 型の形を模して 自分の最初のオートジャイロを作った。フォルクスワーゲン自動車エンジンを搭載したそれは重くて 良い性能は得られなかったが 体重の軽い自分が飛行するには十分だった。その後 幾度か長いブランクが有ったが オートジャイロにかかわりを持って今日に至っている。 Wallis から大変な刺激を受けた事がきっかけである。 氏の機体には大いに関心が有ったが 氏に会って話を聞こうとか 手紙を出そうなんて気は起きなかった あまり熱くもならないが冷めもしない その様な性分である。 Wallis Days の催しの概要は雑誌記事で知っていた。 しかしぜひ行ってみようとは考えなかった。 

だから今年春から計画していた 夏の2週間の英仏旅行の日程にも それは入っていなかった。もっとも その計画は 身内に健康上の問題が出て断念した。 問題好転を見て 直前にキャンセルする事も覚悟の上で 短期間の英旅行を再計画した。 

近着の雑誌 International AUTOGYRO 1/4 ly : Issue 20 に大会案内が載っているのを見て大会会場Shipdham飛行場の位置をインターネットであたった。 何とかなりそうだと日程に組み入た。  医者の了解を得て決断したのは出発2日前。 しかるべき者に対する 旅程や連絡先の通知が完了したのは1日前。

Wallis Days 2004 見学記 4
Wallis Days 2004 が催される場所 「 Shipdham 飛行場」の位置について 出発前に知り得た
事は 英国 Norfolk の Norwich と King's Lynn の間に有る Dereham の少し南 Watton へ向
かう道路A1075 の途中だと言うこと。 

Norwich~Dereham 約30km Dereham~Shipdham 約10kmらしいが最寄りの図書館の大
きな地図帳で探しても 「Shipdham village」が記載されているものは無かった。 
Shipdham 」が載っている地図は大会訪問前日 Norwich の観光案内所で初めて目にした。

8月20日 ロンドン Riverpool Street 駅から電車で Ipswich 経由 Norwich へ行って 
そこから King's Lynn 行きのバスで Dereham 着。案内所で予約した宿へタクシーで行って 
ようやく少し落ち着いた。

明日は間違いなく Ken Wallis 氏の飛行と機体 Ken Wallis 氏を 直接間近に見る事が出来る
筈だ。

Wallis Days 2004
 見学記 5
Dereham の宿からタクシーで約15分 Wallis Days 2004 の大会会場に到着した。
2日間の大会初日の朝 どうやら早すぎたらしく 未だ準備中 閑散としている。ゲートでパン
フレットとメモが渡されて メモには「歓迎する」「11時までは滞在しなさい」「Woody に声をか
けなさい」などと有った。Woody は大会実行の委員の1人らしく 後で分かったのだが 以前に
アメリカでオートジャイロの教官を務めていた事があり何人かの日本人も世話になったようだ。
今は Great Yarmouth (Norwich の近く)に住んでいて 英国で活動している。
Wallis Days を最初に企画実行したのは Rowland Parsons と言う人だったが 都合で今は
「British Rotorcraft Association 」BRA が主催している(注)。「Autogyro Show and Fly-in 」と
うたった この大会の規模は非常にコンパクトだが その内容は大変ユニークな構成になって
いる。 Ken Wallis の飛行を見て 会って話しをし 近くにある氏の屋敷を 皆で車を連ねて移動
して訪ね オートジャイロや他のコレクションを見学する。 また会場に戻って展示されている
オートジャイロとその飛行を見る。 模型オートジャイロの飛行を見る。
夕方には Wallis の講演を聞く等々。
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Wallis Days 2004 見学記 6
8月21日(土)大会初日。会場到着が早すぎた様だったが退屈はしない。
既に "Wallis WA-120" "Cricket のいろいろな型" "Montgomerie" "Wombat" 
"Twinstarrlite"や "Parsons Tandem" 等のジャイロが展示されていた。
主催者 BRA のテントには販売用の本が並べられ それを物色したり機体の
写真を撮ったりしている中にトレーラーで"RAF2000" が搬入され また同じく
トレーラーで "Little Wing" が到着した。別の "RAF2000" がフライインして 
それが会場までタキシーして来るのと入れ替わりに "Cricket" の1機が展示
飛行に出て行った。気が付くと いつの間にか "Bensen "や 製作途中の鋼管
溶接胴体が並べられており 駐車場の車の数も増えて 機体の回りの人々の数も多くなっていた。
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  写真 : Shipdham Airfield, Norfork, England / Aug. 21, 2004
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Wallis Days 2004 見学記 7
パンフレットの日程表に有る通り 定刻11:00。
主役K.H.Wallis氏が 近くにある自分の滑走路付きの屋敷 Reymerston Hall からオート
ジャイロで飛来した。 風がかなり強いにもかかわらず 座席に横乗りして手放し飛行
安定性をデモッた後着陸。 会場の機体展示場までゆっくりタキシングしてエンジンを
止めると 集まった人々から大きな拍手が起きた。Wallis WA-116-T型G-AXAS から降り
立った姿は黒いスーツにネクタイ。ヘルメットを外し 細紐でローター・ブレードを機首部に
結わえ付ける。 マイクを受け取ってその場で挨拶。
wallis88
  続けて主催者 BRA のテントに移動してまたマイクを持って ここで公式の開会宣言。

写真 /  Aug. 21, 2004 : Shipdham Airfieldwa116t
  K. H. Wallis と WA-116-T G-AXAS
sidesadl
   座席右側に横乗りして 手放し足放し飛行
arival
  K. H. Wallis 飛来

Wallis Days 2004
 見学記 8
開会宣言すると その後は会場内を歩き回って人々と機体を見たり歓談したりで 全く気さくな Ken Wallis 。

そして昼過ぎ 外部バランスウェイト付き木製ローターを装備した Wallis WA-116-T G-AXAS の90馬力マッカラー・エンジンを 自ら手回し始動(下の写真)して離陸。ローパスから ハッとするような急上昇を何度も繰り返 した後 自分の屋敷 Reymerston Hall へ向かって飛び 去った。
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                凄い!の一言に尽きる88才。
写真:Shipdham Airfield, Norfork, England/Aug.21, 2004

Wallis Days 2004
 見学記 9
Ken. Wallis が滑走路付きの自分の屋敷 Reymerston Hall へ向けて飛び去る。
今度は大会見学者が Wallis の屋敷を訪れて 氏の WA-シリーズ・オートジャイ
ロの数々と その他のコレクションを見学する。 その為に午後1時頃から希望
者の車が列を作って屋敷へ向かう ~ このコンボイは恒例となっているらしく 
また " Wallis Days " を特色付ける催しだ。  当初は自分も これに参加するつ
もりでいたのだが 残念ではあるが取り止めた。 即ち昨日 Dereham の宿に入
ったのが少し遅くなった事も関係するのだが 英国内の移動に不慣れな自分達
を宿まで案内してくれた 多少慣れている者が London 近くの家へ当日中に帰
宅する事が出来なかった~鉄道工事事情が理由で有ると 次の日(大会当日)
の朝に受けた電話連絡で分かった。 帰国日程と 移動中の異常事態への自
分の対応能力を考えて 安全側選択~時間の余裕を採った結果として 屋敷
訪問は諦めた。 Ken. Wallis 氏へ会う事も出来たのだ 良しとしよう。
mrwallis
Gary Layzell 氏 ( Managing Director / Layzell Gyroplanes Ltd. )が
Kenneth H. Wallis 氏に会わせてくれた。 望外の喜び。 ハッピー。 光栄。 
 中央 Kenneth H. Wallis 氏
       左   Gary Layzell 氏

Shipdham Airfield, Norfork, England / Aug. 21, 2004

Wallis Days 2004 見学記 10
Cricket の最新型 "Layzell AV-18/A"
G-CBWN の座席に乗ってみた。フット・
ペダル位置が調節出来る様になってい
るので 自分の体格でも違和感がない。
米国の Bensen 氏が開いたスポーツ・
ジャイロプレーンの時代を 1970年代
から今日まで生き残っているジャイロ
プレーンの一つが 
英国 Peter Lovegrove 氏が設計した
Cricket 型である。 当初 Campbel 社の
為に設計した Cricket Mk 1 型は 設計
変更や改良がなされ Everet 社からも
販売された。最新型 Mk 6 は Layzell 社
向けの機体で Mk 5 型によるテストの
結果をふまえて 始めから水平安定板を
採用した(注)。その Layzell 社
( Layzell Gyroplanes Ltd.)は それを
Layzell AV-18/A 及び AV-18/B
(コックピット・エンクロージャ付き)として
キット販売している。なお Gary Layzell
氏からの mail によれば "G-CBWN" は
今年の大会で
"The Cup for Best Gyroplane" に輝いた
右が Managing Director Gary Layzell 氏
garylayz

av18aav18b

Wallis Days 2004
 見学記 12
今年の Wallis Days で Wallis 氏が飛行した機体は 
WA-116-T 型(登録記号 G-AXAS)。
この WA-116-T型は 超小型オートジャイロの飛行
を同乗体験して貰う目的の 1969年に製作した簡
易型複座機。 90馬力マッカラー・エンジンを搭載し
ローターブレードは木製で外部バランス・ウェイト付き。
最初に試乗したのは Wallis氏の息子だったとか。 
飛行可能な総重量(753lb/341.5kg)と自重量(240lb/
108.8kg)の比は3.14(約3倍)も有って 下の写真の
様に後部座席に錘を載せて公式立会の元に記録飛行
を実施した(注)。映画撮影などでは 動いている自動
車やプレジャーボートの屋根にも着陸している。 
今回の大会に飛来した機体の尾翼にはテレビドラマ
"The Martian Chronicles"「火星年代記」で使用したときの
ZEUSIII のイラストが残っていて 形も当初の設計
から変更されている。 方向舵上部"Wallis"の右側
"G-AXAS"の上に 型式名 "WA-116-T"の表示が小さく記して有った。
axasa
wa116tb
 同乗飛行の様子 (写真はジェーン航空年鑑より)
wa116ta
   記録達成飛行(30 June 1971)後の写真    
       (写真はジェーン航空年鑑より)

2004年9月、10月の飛行記録から
9月 飛行実績なし。
10月2日(土)。 8月8日以来 2ヶ月ぶりの飛行。 明日も同様なお天気と予想して屋外係留して帰宅。 が 残念ながら雨だった。近くに住む副会長が トラクターで牽引して 堤防の外の離れた所にある格納庫の空きスペースへ移動してくれた。 その後の雨で河川敷は冠水したと知った。 感謝。7回のジャンプ飛行と 2回の周回飛行 合計 55分。
10月16日(土)。 しばらく中断していた梁川橋架け替え工事が再開されていた。 8回のジャンプ飛行と 2回の周回飛行 合計40分。
10月17日(日)。 今日は ULP と モーター・パラグライダも現れて飛んだ。2回のジャンプ飛行と 3回の周回飛行 合計1時間20分。
10月24日(日)。 昨日新潟地方は大地震で被災し今日も大きな余震にさらされている。台風23号の影響で再び冠水した滑走路は まだ乾いていない。 上から見ても素人にはわからないが梁川橋の工事も影響を受けた筈。5回のジャンプ飛行と 1回の周回飛行 合計 50分。brdg1017
   中央青色は橋梁工事のクレーン 10月17日


油断できない滑走路
台風23号が去った。新潟県は中越地震で大被害を被った。冠水した阿武隈河川敷の滑走路は 既に水がひいて湿ってはいるが一見悪くない様に見える。しかし走ってみれば 草の下の薄い泥の層がくせ者で バランスを崩すと機体は横にスリップするので油断できない。自動車が雪道でスリップする様な感じ。一刻も早く浮上させようとあせる。 そのうち水が残っている所でバウンドしながらジャンプするが 結果は写真の通り。プロペラとローターの泥を掃除してジャンプを繰り返してコースを決め慎重に離陸滑走して飛び上がる。着陸には支障ないのだが この様な離陸は一度やれば十分。
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守谷場外離着陸場(ジャイロプレーン)
不順な天候が続く中 幸い好天気に恵まれた11月13日(土)。
ジャイロプレーンの操縦技術を見る目的で 利根川河川敷にある守谷飛行場(茨城県北相馬郡守谷町の場外離着陸場)へ行ってきた。
2:30 自宅を出て須賀川インターチェンジから東北自動車道を利用 岩槻インターチェンジで降りて国道16号線経由で柏市方面へ行って そのあたりから北上して守谷町へ。FAX.で受けた案内地図を見ながら 旅館が有る交差点を曲がって道なりに進んで・・・とやっている内に 小学校の所の交差点で偶然 ジャイロ・トレーラーを牽引して走ってきた自動車に遭った。FAX.を送ってくれた方だった。 それでその後の曲がりくねった単純で
はない道路は地図を見ずに進む事が出来て 8:00 かつて 航空が開拓した滑走路へ到着した。見せていただいた飛行はナイス。目的を達して 午前中早い時間に引き上げた。
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 写真: パイロットはUさん。 機体はエアコマンド - R532
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